こんにちは、hiroです。
今回は、こざわたまこさんの小説「負け逃げ」を読んだ感想を書きます。
田舎という閉鎖的な空間で、心も閉鎖的になっていく有り様に、同じく田舎に住んでいる僕は共感しました。
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「負け逃げ」のあらすじ
国道沿いのネオン街を自転車で爆走する、音楽好きな男子高校生。
復讐という名目で村中の男と寝る、足が不自由な女子高生。
冴えない男性教師が、同僚の女性教師と不倫をする。
その女性教師も、家庭崩壊に苦しんでいた。
田舎に生まれた人たちが、光を求めて必死にもがく、群像劇。
感想(ネタバレあり)
東京への憧れの真意
田舎という閉塞的な空間は、心まで閉塞的になってしまうものなのだろうか。
地方の人は、東京へ憧れを持つことが多い。
今自分がいる場所から解放されたい。
ここにいては息が詰まりそうだ。
そんな理由の人もいると思う。
なにかやりたいことがあって、東京に行くのではなく、今すぐにこの場所から逃避したいという欲求がはたらくのではないだろうか。
実家暮らしも閉塞的
僕も地方に住んでいる。
しかし、東京への憧れはない。
なぜなら、今この場所において、閉塞感を感じていないからだ。
地方にいながらも、自分の生きたいように生活できる毎日だ。
これはきっと、感謝しなければならないことなのかもしれない。
今、僕は一人暮らし。
もしこれが、ずっと実家に暮らしていたら、閉塞感を感じていただろう。
家族と生活する煩わしさ。
子どものころはなんとも思わなかった、共同生活が、大人になるにつれて息苦しくなる。
この小説は、それに似ている気がする。
思い出した、うつ病
人間は閉鎖的な空間に閉じ込められると、未来や希望を感じることができなくなるではなかろうか。
明るい未来、力強い希望。
これらが感じられないとすると、何を指標に生きていけばいいか迷いそうだ。
うつ病の僕がそうだった。
部屋に引きこもっていたとき、明日という近い未来でさえ、イメージすることができなかった。
しかし、これではいけないと思い、外の空気を吸いに出かけた。
おもに河原に出かけたのだが、そこで心を無にできた。
そして、少しばかり、未来に光が差すのを感じられた。
解放された気分にさえなった。
そこから、自分の時間が動き始め、今ではいろんなことに挑戦できるようになった。
田舎に住んで、心が閉塞的になるのであれば、外の刺激に触れることで、その呪縛を解いてくれるのではなかろうか。
心が閉塞的になると、自分の内側しか見れなくなる。
そんなときに、自分の内側を刺激してくれるような、外部の環境に積極的に触れることが大切だと思う。
実際に東京へ出向いたり、いつもと違ったことをしてみる。
そういう試みが、心の閉塞感を解放してくれるのではないだろうか。
外側を向くのは難しい
しかし、そこまで、意識を働かせることができるのか。
内側に意識が傾いているときは、何かしようという気すら起きないのがほとんど。
では、心が開くのを座して待つしかないのか。
それは違うと思う。
心がうち向きなとき、人はなんとかして、外側に向けようともがいているはず。
だから苦しいし、もどかしさを感じる。
このもがきが、小さなうねりを生み、時とともに大きなうねりに変化するのではないだろうか。
閉塞的な心と対峙する
「負け逃げ」で登場する人物も、もがき苦しみながら、自分なりの答えを見いだしていく。
正しい答えと言うよりも、自身が納得できる答えを見つける感じだと思う。
それが見つけられたとき、人はまた一皮むけ、次のステップを踏めるのではないだろうか。
この小説の最後の結びの部分、「スキップ」で、僕はそう感じたのである。
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