こんにちは、hiroです。
うつ病になると、世界に取り残された感覚が生じます。
外の世界の時計は動き続けている。
なのに,自分の時計は、止まってしまった感覚。
「自分は価値のない人間だ」
「生きていても意味がない」
と思うようになる。
そして,「自殺」という選択肢が浮かぶ。
僕は今でも、「いつ死んでもいい」と思っています。
けれど先日、感情に変化がありました。
「死にたくない、死ぬのが怖い」という感情が、強く湧いたのです。
死んでもいい、けれど死にたくないという矛盾した気持ち。
今回は、この矛盾について僕なりに考察をしてみました。
※今回の記事は、けして自殺を肯定・推奨しているものではありません。その点を踏まえたうえで、読んでいただければ幸いです。
もくじ
僕の経験のこと
初めてのうつ病診察。
「死にたいですか?」
医師に聞かれました。
「死にたいと思わないけど、いつでも死ねます」
僕は返答しました。
そして、1度だけ、自殺を試みました。
幸い、知り合いがたまたま僕の部屋に来たことにより、未遂で終わりました。
自殺する直前の僕の気持ち
自殺する日の出来事を、今でもはっきり覚えています。
そのときの感情は、死に対する恐怖感などまるでありませんでした。
むしろ心地よい感じ。
荷を下ろして楽になった感じがしました。
部屋の整理をする。
シャワーで身を清める。
歯を磨く。
最後の晩餐として、正座をして食事をする。
今でもはっきり覚えています。
ちなみに最後の晩餐は、コンビニのナポリタンと、缶チューハイ。
量としては少ない。
けれど実際は、半分も食べられませんでした。
今まで食事という食事をしてこなかったので、胃が縮こまっていたのです。
食べられなくなっていた自分に,失笑しました。
コンビニに出かけるために、久しぶりに外に出たときのこと。
強烈に感じたのは、外の世界は時が動いているのに、自分だけ時が止まっている感覚になったことです。
ものすごい孤独感でした。
けど,「それも今日で終わる」と安堵する自分もいました。
しかし,結局は未遂で終わりました。
怖くてやめたのではなく、知人に止められたからやめたという気持ちが強かったです。
それ以来、いつも自分の中に「死」がつきまとうようになりました。
けして、毎日「死にたい」と思っていたわけではありません。
「死んでもいい」と思っていたのです。
ここに大きな違いがあると思います。
右腰の痛みがきっかけに
最近になって、右腰の上部に痛みが出るようになりました。
突然、痛みが出たり、出なかったりの繰り返し。
ただの腰痛ではないことは明らかでした。
薬の副作用かもしれないので、病院の医師に聞いてみようと思いました。
しかし、次回の診察まで日がありました。
なので、自分で調べることにしたのです。
ネットの情報なので、100%信用できません。
それでも気休めになればと思い、「右腰の痛み」というキーワードで検索してみたのです。
そのとき、最初に出た検索結果を見て、ゾッとしたのです。
そこには、「すい臓ガンの特徴」という文字がありました。
ガンという言葉に、反応したのです。
ガンというのは、日本における死亡率が高い病気です。
「もしかして自分はガンなのか・・・?」
そう思ったときに、恐怖感が襲ってきました。
この恐怖感の正体は、「死ぬのが怖い」というもの。
それは、根底に「死にたくない」という感情がありました。
死んでもいいと思っていたのに・・・
ふと不思議に思ったことがあります。
それは、今まで「いつ死んでもいい」と思っていたのに、すい臓ガンという文字を見た瞬間、「死ぬのが怖い、死にたくない」と思ったことです。
なぜ、このような気持ちの矛盾が生じたのだろうか。
その理由を、自分なりに考察してみました。
「死んでもいい」はうつの症状のひとつ
色々調べてみると、うつ病には、「希死念慮」という症状があるとわかりました。
「希死念慮」とは、「死にたい」などの言葉を直接的に言うのではなく、具体的な理由がないけれど、漠然と死を願う状態のこと。
注目すべきは、この症状は、「自殺願望」ではないということ。
「自殺願望」とは、問題から逃れるために死を選択する状態のこと。
つまり、希死念慮と自殺願望は、似てまったく異なるもの。
希死念慮は、「死にたい」のではなく「死ぬ方向に向かってしまう」という状態ということではなかろうか。
言葉で説明するのがめちゃくちゃ難しい。
とにかく、「死にたい」と「死んでもいい」は違う、ということを言いたいのです。
ガンという言葉を見て
ガンという言葉を見て、「死んでしまうかも」という感情が起こりました。
その感情に対して、僕はものすごく恐怖を感じたのです。
つまり、死ぬことを恐れたのです。
今まで死んでもいいと思っていたのに、死を恐れるなんて。
「結局死にたくないんでしょ?」
と言われるかもしれません。
けれど、それは断じて違う。
そこにはたしかに、「死んでもいい」という感情が存在しました。
なのに、死にたくないと思ったのです。
「何じゃそれ」
と言われればそれまでです。
ここではっきりしておきたいのは、うつ病で自殺をする人というのは、自殺願望があるからではなく、自然と死に導かれているのではないか。
僕はそう考えています。
希死念慮のある人には、いろんな特徴があるようです。
- 「眠ったまま、目覚めなければいい」
- 「お世話になりました、今までありがとうね」と不自然に感謝の念を示す。
- 「身の回りのものを処分する、他人にあげる」
- 「自殺手段を用意する」
などの行動を示すこともあります。
僕は実際に自殺未遂の時、身の回りのものを処分したり、他人にあげていました。
ちなみに今でも、部屋の中をまっさらにしたいという気持ちが常にあります。
「生きている意味がわからない」
「今までありがとう」
と口走ることもありました。
したがって、僕が起こした自殺未遂は、自殺願望ではなく、希死念慮によるものだったと考えられます。
つまり、「死にたい」ではなく「死を身近に感じている状態」だと思います。
「命を粗末にするな」と言う人に言いたい
「震災で多くの人が亡くなっているのに、自殺なんて考えるなんて愚かだ」
「命を粗末にするな」
実際に、僕が他人に言われたことです。
「そうじゃないんだよ・・・」
すごくやるせない気持ちになりました。
「死にたいと思って自殺を図ったわけじゃない」
けして、命を粗末にしているわけではありません。
この事実を知って欲しい。
「死にたい」の裏を探ってみる
今回の僕のケースでは、「死んでもいい」と思っていたが、ガンという言葉を目の当たりにしたときに、「死にたくない、死ぬのが怖い」と思ったことに意味があります。
けして臆病になったからではなく、そこには、希死念慮が関わっており、自殺願望とは異なるものということです。
こういう風に説明しても、「自殺を肯定する言い訳でしょ」と言われるかもしれません。
そうなったら、もういいです。
その人には、一生わからないと思います。
自死というのは、うつ病の人にとって起こりうる症状のひとつと理解すべきです。
話がまとまってなくてすみません。
一番言いたいことは、自殺したくて自殺するのではなく、勝手にそちら側に導かれてしまうということです。
「死んでもいい」は希死念慮の可能性が高い。
そして、「死にたい」は「生きたい」の裏返し。
今になって、はっきり僕はそう思います。
なかなか理解しにくいことですが、少しでも現状を知っていただけたらと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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